「ローズ・イン・タイドランド」(ネタバレあり)

ローズ・イン・タイドランド [DVD]
母を亡くし、父と2人で今は空き家になっている父の生家に身を寄せたものの、そこで父も命を落としてしまい、草原の中の半ば朽ち果てた家で独り取り残されてしまった主人公の少女は、そんな辛い現実を空想で包むことで何とか生きていこうとする――みたいな書き方をすると、ちょっとした「一人ライフ・イズ・ビューティフル」なんですけど、まず冒頭が少女が父親のためにコカイン注射のご用意をするところから始まってて、母親の死因はドラッグのやりすぎで、父親の死因も勿論ドラッグのやりすぎで、人形の頭部を指にさして会話するのだけが少女の唯一の友達で、父親の死後やっと出会えた生身の人間は、剥製作りが趣味でそれもいつか生き返らせられると信じているキティーなおばちゃん(キティちゃん)と、その弟の知能に障害がある感じの男(頭部にロボがトミーした手術痕あり)だった、っていう。
「辛い現実を空想で包む」っていうより、この「現実」とやらがもう十分ファンタスティポなおかげで、悲壮感みたいなものよりは、薬でラリってる人と脳内麻薬でラリってる人が同じステップでダンスしてるみたいな感覚の方が強くなります。それは勿論映像の綺麗さに拠る部分も大きくて、人によってはその現実と映像との乖離ぶりにすごい不安感を覚えそうでもあります。
「日が経つにつれて腐敗していく父親と、それと普通に会話する少女」を、何の感情も込めずに「そういうもの」として撮ってるのは私は実はそんなに怖くなくて(それは私も「そういうもの」として見てるから)、それよりむしろ少女が何気なく食べようとしたピーナツバターのビン(?)に蟻がビッシリこびりついてたシーンの方が何か「生」を感じて怖かったです。
そんでこの映画で何が素晴らしいかって、主人公の女の子な。正直、見終わった時の感想「お前(監督)変態だな!」ですからね。主人公は、ロボがトミーな男の「ここ(草原)は海だから泳がないと溺れちゃうんだよ!」「僕は潜水艦(ガラクタ寄せ集めテント)の船長なんだ!」っていう妄想に同調して、まさかの恋愛関係(正しくは「めいたもの」)に発展します。
最初はじゃれあいの中のキスだったのに、次からは少女からキスを誘っておいて男がその気になったところではぐらかすとか、完全に「少女」にひれ伏してる奴の発想。その後も少女は、無邪気に潜水艦ごっこに興じながらも「あなたの宝物を見せてくれたら、私は永遠にあなたのものだわ」みたいなことを言い出して、単なるオマセな発言ぽい中にも意識的にか無意識にか自分の「女」としての価値を自覚し出した雰囲気を出してきたり、その割に「キスをしたから赤ちゃんが出来たの」「明日生まれるかも」っていうちぐはぐさも持ち合わせてたりで、お前(監督)変態だな!
ともすれば少女の「一人ダンサー・イン・ザ・ダーク」にもなりかねないんですけど、違うのは、少女は大半を「○○ごっこ」として認識してそう(つまり現実は現実として理解している)なのがまた実に「少女」らしいと思います。「この白線から落ちたら海やからな!」っていうのと一緒。白線だって分かってるし海じゃないけど、でも「この遊びやーめた」と思うまでそこは間違いなく海で、落ちたら死んじゃう。もし万一「ちょっと足がはみ出ちゃった」みたいなことが起こっても、「あ、そこに石あるからそれが島っていうことにしてセーフにしよう」「せやな!」っていうやり取りで処理される感じ。男の潜水艦妄想も、それが自分の受けいれられる範囲内だから楽しいし、男が「巨大なサメだ!」って言ってるものは実は線路を走る電車だって分かってるし、だから男が「サメのエサなんだ」って撒いた小銭はしっかり拾い集めちゃう。現実が辛すぎるあまりにと言うよりは、少女にとってそれが自然な受け止め方っぽい。
そして「それ島っていうことにしてセーフ」が通じないレベルの破綻が起こった時、劇中で言うとそれはラストシーン近くなんですけど、少女はブチ切れてあんなに大好きだったはずの男がもがいてるのにも目もくれずに家に帰っちゃいます。きっと、ここで男を助け起こすようでは「少女」じゃない。続くラストシーンでも「ごっこ」を終わらせて口汚い言葉を吐かせたり食べ物をむさぼらせたりして少女の生々しさを増させるとか、お前(監督)ほんと変態だな!
というわけで、一般的にオススメ出来る要素は無いですけど、「少女」なるものに惹かれる人には十分楽しめる映画なんじゃないかと思います。個人的な見所は、少女の父親がずっと着てるハッピの襟元にしっかり「ことぶき」って書いてあるところです。