アイドルの事を書く時はいつも緊張します

AKB48の「スカート、ひらり」

スカート、ひらり
女の子には
スカート、ひらり ひるがえし
走りたくなる時がある
何もかも捨てて
愛に向かうよ

この「ひらり」の部分で、制服姿の女の子達がターンしてスカートをひるがえすわけですが、その際、黒いスパッツがモロ見えになっているのが納得いきません。チラ、でもなくほんとにモロ。何それ。全然楽しくない。スパッツ見えて何が楽しいの。何のロマンなの。
せっかくの21世紀なのに、何のためのCGですか。ここで使わずいつ使いますか。映像処理とかしまくれば、「見えそう、でも見えない」のギリギリのラインを再現するくらい容易だと思うのですけど。もしくは、もう少しスカートを長めに設定しておいて、パっと見では見えてない、でもスロー再生や一時停止を駆使してみたらチラっと黒いものが→何だ、スパッツかあ…。でもいいです。この「労力→ガッカリ」の流れは重要です。
見せるなら見せるで、「見えてもいいものなんだろうなと思わせるような下着(スコートみたいな)」でも無くブルマでも無く、どうしてスパッツ(黒)なんだろうっていう疑問もあるのですが。いやらしさの払拭が狙いなんでしょうか。それとも、スパッツに何らかの需要があるのか。
CMで流れている部分しか知らないのでその印象だけで書いてますけど、これは「走ろう走ろう」と思ってて走り出しちゃうんじゃなくて、そうしなきゃいられない感情の高まり(がきた瞬間)に走り出しちゃうって事で、それなのにスパッツ履いててどうしますか。仕込みですか。そんな半端な気持ちで何が捨てられますか。パンツ気にする余裕見せてる時点で「必死さ」「ひたむきさ」がかすんでしまいます。
っていう所まで書いたとこで、彼女らが気にしているのは「パンチラ」ではなく「下腹の冷え」なのだと解釈すると、小賢しさ一気にダウンで愛着まで抱いてしまいそうだという事に気づきました。確かに若い女の子に冷えは大敵です。10代の女の子に伝われ、このメッセージ性。
まあ、歌詞の「私たち何をしても許される年頃よ」で、彼女達を「許す」のは誰なのか・誰に向かっての台詞なのかを考えると、同年代の同性に訴えかけるような歌では無い事は明らかでしょうけど。

PV見つけたので見てみたら、「ひらり」の部分以外でもバックの子とか普通にチラチラスパッツ見せてますね。何だ。「特別」感の無さよ。あと「ひらり」の部分も、あえて手でひるがえし度を上げてるっぽく見える動きもありますね。何で見せるんだ。見て欲しいのか。そうなのか。この