「愛がなくても喰ってゆけます」

愛がなくても喰ってゆけます。

料理をテーマにしたエッセイ風漫画。「YながFみ」を主人公に、色んなお店の料理を紹介すると共に、それを一緒に食べている人とのエピソードや会話も楽しめるように作ってあるのが上手い。
料理の描写は絵も文(というか会話)もとても美味しそうで、美味しいものを食べて「くぅ〜!!」ってジタバタしたくなるような感じがとてもよく出ていると思います。紹介されてるのは都内のお店ばかりなので、行こうと思って気軽に行ける人は限られてるかもしれませんけど、何もそこのお店に限らず、「こういう(美味い)お店に行きたい・探そう!」的な方向に気持ちが向いて、もうちょっと「食べる」事に気を使おう!と考えさせられます。

で、こっからは私の疑問なんですけど、何で主人公を「YながFみ」にしたのかがよくわからないんですよね。紹介されているお店からして、よしながさんの生活圏内を舞台にしているというのはわかるし、より説得力を持たせるために現実に近いキャラを使うっていうのもわかるんですけど、主人公に対する作中の描写で、同居人の男性(恋愛関係ではない)が、「ブラを取って仰向けに寝ていても乳の形をキープできているYながを見てほんのり欲情」みたいなシーンを描く意味がわからない。仕事中のYながを物凄く不細工に描いておいて(この辺は自制心が働いてるんだと思う)、化粧した姿はすごく綺麗になって睫ゴッソリ唇ぽってり巨乳スタイル(表紙の中央)になってるのもわからない。そういう事をやるなら、別によしながさんとは全然関係ない架空のキャラを作って、「ああ、これは作者の事なのかも…」とうっすら気づかせるくらいでいいんじゃないかと思うんですよね。
そういう距離の取り方がわからない人では無いと思ってたんですけど。なんか気持ち悪い。キャラとの距離の取り方が近すぎるというか、近いなら近いでいいんですけど、その描き方に「??」ってなる。「この話は全てフィクションです」の注意書きを扉につけるんなら、「YながFみ」っていう作者自身と直結したキャラを使わなきゃいけない理由がわからない。身も蓋も無い言い方すると、これって「私って化粧したらセクシーなんです」「乳の形がいいんです。欲情されちゃうんです」って言ってるのと同じですよ!しかも自分で言うんじゃなくて、登場人物(主人公の周りの)に間接的に言わせてるあたりがまたいやらしいですよ!
感想やらを探して回ってたら、「編集と食べに行ったっていうのをそのまま描いても面白くないから、ストーリー仕立てにした」って雑誌のインタビューで言っていたらしいっていう書き込みを見つけたんですけど、それなら尚の事なんで「Yなが」の部分は変えなかったんだろう…。「Yなが」を使った上に、周りの登場人物名も「S原」とか「M脇K子」とかにして変なリアリティを持たせてるんだろう…と思えてきてうーんうーん。自分の事となるとちょっと眼鏡が曇っちゃうのかなあっていうのが私の結論なんですけど。自分が自意識過剰なもんで、人の自意識にも過剰に反応しちゃうんですよね…。気にしない人の方が多いんだろうなあ多分。