移動中読んだ

月のしずく (文春文庫)

三十年近くコンビナートの荷役をし、酒を飲むだけが楽しみ。そんな男のもとに、十五夜の晩、偶然、転がり込んだ美しい女―出会うはずのない二人が出会ったとき、今にも壊れそうに軋みながらも、癒しのドラマが始まる。表題作ほか、子供のころ、男と逃げた母親との再会を描く「ピエタ」など全七篇の短篇集。

鉄道員」読んだ直後あたり(数年前)に1回ザっと読んで「ピエタ」でボロボロ泣いた記憶があったので改めて買って読んでみたのですが、何か前読んだ時と印象が違う。多分私が大人になったからなのかなあっていうと良いように聞こえますが正確に言うと「私の性根が更に歪んだから」だと思います。
全体的に「女を許す男」の話が多いんですけど、出て来る女出て来る女がどうもおかしいっていうか癇に障るていうか…。「思い上がってんじゃねえ!」って横面叩きたくなる衝動がググっと。
ピエタ」は幼い頃母に捨てられた娘が大人になり婚約者(李。中国人)を連れて外国にいる母を訪ねて行く話で、主人公は母への当てつけに自分が「くだらない」「好きでもない」と思う男(李)と結婚しようとしていて、男はそんな女の気持ちをわかった上で「それでもいい」「そばにいられて、役に立てて嬉しい」「母との事(あてつけ)が終わったら捨てられてもいい」というような事を語って私はそれに涙ブビャーだったんですけど、今読むとこの女(最終的に男の優しさと愛に気付く)のおかしさが目についてしょうがなくて落ち着かない。
幼少期から母の愛に飢え続けていて、それによって苦しみ続けていたというのはよくわかるんですけど、周りの人に対して「立派な家庭に生まれて、全てを与えられてきた人たち」っていうモノの見方をするのは違うだろ!なあ!前半〜半ばあたりの、ストーリーとして思い悩んでいる箇所での描写ならわかるんですけど、これ最後の「私、目が覚めたわ」的な部分で言われるんですよね。立派な家庭っていうのは「父母が揃った」って事でまあわからなくも無いんですが、周りの人間を「すべてを与えられてきた」って言っちゃうのはなあ…。お前は!そんな事で!自分の痛みにばかり敏感で他人の痛みに気付けないで!李さんを!愛せるのか!
あと「聖夜の肖像」の女もなかなかにコメカミに来るものがあります。あーでもこういう女というか、女のこういう部分を全部許して丸ごとぐるんと囲んで風呂敷の中に丁寧に包み込んじゃうような男っていうのは確かに魅力的っていうか、そりゃ要るか要らないかって言われたら「要るに決まってんだろ馬鹿!いくらだ!」って叫びたくなるわけですけどもね。そういうファンタジー物語なのかなとも思いますし。
女側から見ると"愛情の泉の水に気持ちよく浮かべてくれる男"のファンタジーで、男側から見ると"まじめである事が報われる・愛はいつかきっと報われる"っていうファンタジーなのかなあと思います。
とかつらつらヒネた事書いてますけど、まあ今回も泣いたんですけどね、うん、ほぼ全編で涙ぐんだ。