鰯の頭

昼間、インターホンが鳴ったので出てみたら、「今日は聖書の御言葉についてお話を」とかいう類の人が。
ものすご不思議なんですけど、最初から話聞きたい度100パーセント近くの意気込みの人らが集まる集会とかならともかく、こんな普通の住宅街での御言葉への関心度なんて福原愛ちゃんが最近ハマっているお菓子は何でしょう?くらいどうでもいい事だろうし、誰が住んでんだかもわからない家にいきなり行って話聞いてくれなんて言っても、つれなくされるならまだしも「うるさい帰れ!」って怒鳴ってくる親父が出てきたり「あなたの信じているものは真の神ではないのです」とか早口で語り出す目の座ったおばさまがいたり「飼い犬が吠えてて何言ってんだかよく聞きとれねえけどとりあえず断っとけ」っていう無職女がいたりするわけで、そんなハラハラ感としょんぼり感を延々と繰り返しながらも彼らにインターホンを押し続けさせるものっていうのはやっぱり神とかそういう類のなせるわざなんでしょうか。
だとしたらちょっと入りたい。その打たれ強さを手に入れたい。教義を熟読したい。教えを妙な歌詞とオリジナルのリズムに乗せて微妙な音感で歌い上げるような歌でも歌いたい。団体代表に取り入りたい。教祖の愛人になって一極集中する金と権力の汁をすすりたい。教祖の妻とかはちょっとめんどくさそうなのでいいです。
関係ないけど、ああいう宗教者が信者や布教用に作る歌っていうのは、歌のクオリティの低さに反比例するかのように物凄い粘度で耳にこびりつきますよね。麻原さんのやつとか私の脳内ではいまだに現役です。最近心を捕らえられたのは、例の下半身牧師が逮捕された京都の教会で流れていた「神の国はすぐそこにいぃ〜!」とかいう歌詞のロック調の歌です。すぐそこってあんた死にかけなんですか、っていう。