森博嗣

昨日の日記にsummercontrailさんが反応してくださいました。(id:summercontrail:20040901#fninaru)
トラックバックがあります」表示が出ているのを見つけてから、URLをクリックするまで「ああ、ひょっとして書きすぎたかもしれない」「嫌な気持ちにさせてすいません」とドキドキキリキリしていました。変な汗をかきました。
「私は1人じゃない…!」と実感できて大変嬉しゅうございました。

  • 天才天才と作品中であがめすぎなのではないでしょうか。もっと淡々と描写された方が凄みが増すというか。
  • 天才にしてはやや幼稚で、自分の情動レベルの動機に左右されすぎな気がします。

1人じゃない!と実感した途端に調子に乗るタチの悪い性質を発揮して追記しますと、私も全く同じ事を思いました。(ネタバレかもしれないので)例の人に関しては、やっちまった行為を正当化するための理屈を(読者に)納得させるために天才描写をしまくっていたのかなとも思うのですが、犀川や萌絵に関しては、別にそんな「頭が切れますアピール」「計算が速いんですアピール」はその思考や行為だけを読ませて「ああ、すごいんだな」と思わせればいいものを、わざわざ文章で「ほらこういうところがすごいでしょ」と何回も何回も補足されてそれがもうお腹イッパイ。意図的かそうでないかは別として、人を見下した視線。
「幼稚」は私、書こうとしたんですが度胸がありませんでした…。情動よりむしろ自分の脳内で組み立てた思想や理屈を人に押し付けているなあという印象なんですが。他人にも感情やら脳やら思考があるということを本当には理解してない人達なんじゃないかと思ってしまう。「それが理系人間なんです」と言われればそれまでなんですが。
今回、「気に食わないものほど饒舌になれる」自分に気付いて少し嫌です。京極夏彦姑獲鳥の夏」(ゾッコンラブ)についてこんだけ語れと言われても出来ない。
追記
 森は「わりきれないもの」を軽視してそうなとこがあるのが肌に合わないのかなあ。京極と違って。関口とか、森の小説には絶対出てこないよな。